「脇役の素顔」(『演劇界』1999年12月号)
「先代萩」の沖の井(この写真は『演劇界』には掲載されていません)
東京の勉強会では馴染みの薄かった片岡孝二郎(当時)が、今年の稚魚の会・歌舞伎会合同公演で「先代萩」の沖の井を勤め、玄人筋を唸らせる、ちょいと心憎いヒットでした。 沖の井のキャラを堀り下げ、メリハリを利かせながらも出過ぎない技量は、なかなか。若鮎の会や上方歌舞伎会での活躍を聞いているだけに、地域限定品?に巡り会えたみたいなラッキーな気分でしたが、形、色、匂いとも松嶋屋の女形そのものだったのが印象的で、どこか我童の面影も彷彿として……。 さて、沖の井で見物を惹きつけた孝二郎(新・嶋之亟)も、歌舞伎ワールドの艶<つや>に惹きつけられ 、 なんで芝居が忘らりょうかァ、と、役者の道を選んでしまった人。新劇や映像の世界を経験、でも、何かが違っていて満たされず、「ここはどこ?わたしは誰?」、おっと、京おのこの彼なら「僕だれやろう?どこへ行ったらええのやろォ」の、アイデンティティ・クライシス状態。そんな彼にカルチャーショックを与えたのは、南座の顔見世で初めて見た歌舞伎。 芝居を毎日見たい一心から、南座楽屋でエレベーターボーイのアルバイトをしながら熱心に舞台を見つめていた彼を、なんと当時の孝夫、現仁左衛門旦那がスカウト、「役者にならへんかァ」勿論、人を介してのお誘い。でも欣喜雀躍狂喜乱舞しちゃいますよね。とはいえ、すでに二十代の後半だった彼は熟慮のうえ、昭和五十三年入門。遅れてきた女形の誕生です。 中こどもから入っても難しい修行をクリアしていったのは、努力に加え、卓抜した集中力と学習能力。ちょっとわけてほしいわァ。 そして、出身高校の所在地に因んだ墨染会が同窓生を中心にサポーターとなり、孝二郎(新・嶋之亟)を支えました。この応援の輪の広がりから彼の歌舞伎デモンストレーション活動が始まり、一昨年にはカナダのモントリオール大学で英語による解説と舞踊『藤娘』の公演が実現。昨年からは、最高裁判所作成の調停キャンペーンポスターに。、留女の拵えで登場中です。 こうした活動の才能は、台本を深く読み取る能力に通じます。『乳房榎』の再演(平成三年六月・中座)で、大詰の榎にお参りする女房の役をもらった孝二郎(当時)は、稽古の時、勘九郎からの「筋を売って」との注文に、亭主役のたか志とのやり取りで、「榎のおかげで赤ん坊の命が助かって有り難い」と、もともとは通り抜けだった役に台詞をつけて、怪奇譚の由来を語る工夫を凝らしました。 さて、西暦2000年は目前です。孝二郎(新・嶋之亟)情報をEメールで交換するメーリングリストを前述の墨染会が作成したとの由。メル友の妙味は格別とか。 藤の方、九段目の小浪、お里、お三輪、梅川、そして夕霧や『輝虎配膳』のお勝など、勉強会で勤めた数々の大役が本興行での脇役に成果を見せて、宿の女中や並びの腰元の時でも、彼の信条の艶を失わない舞台はさすがです。 昨年、名題試験にも合格。遅れてきた女形は、歌舞伎への夢を実現しつつ……。Dream Comes True! 富永保子 |
「上方歌舞伎役者シリーズ22<片岡嶋之亟>」
(関西・歌舞伎を愛する会機関誌『大向こう』)
今から10年程前、京都教育大学付属高校の同窓会に出席をしました時、同窓生約50名が、高校のあった場所(京都市伏見区墨染)からネーミングをして「墨染会」という私の後援会を作ってくれました。 学生時代の友人は私に「役者になるべくしてなったね。」と言ってくれましたが、子供時代は人一倍羞恥心の強い子で、学芸会では恥かしくって、後ろの方で演奏しているばかりだったんですよ。チャンバラ映画と読書が好きで、ある日、朗読会をしようと手書きのポスターを作って玄関に貼ったのですが、思い立ったものの、心の中で恥かしさと物凄く戦っていたのを覚えています。朗読会には近所の子達2人が集まってくれました(笑)。 朗読した本が何だったかよく覚えてはいないんですが、神話やアラビアンナイトみたいな、どちらかというと幻想的なロマンが好きでしたね。歌舞伎の好きな部分と似通っていると思います。もちろん漫画も好きでした。「冒険王」とか「漫画王」(笑)。ただ、うちは両親ともに教育者ということもあってか、何となくそういう雑誌は買わない、みたいな雰囲気があったので、祖父母に買ってもらったり、貸本屋とか友達に借りてました。 この世界に入門する前の数年間は、真剣に自分探しの旅をしていた様な気がします。分かれ道に立って悩んでいるような夢をそのころはよくみていました。私は二十代も後半に、常識で考えたら歌舞伎役者のスタートの限界をとっくに越えていると思われる年齢から入門をしたのですが、それはただただ歌舞伎の世界にいたいという必死の願いだけだったのだと思います。 常々は本公演で脇役を大事につとめ、力を貯えていくことを日々の目標としておりますが、「若鮎の会」や「上方歌舞伎会」、また東京の「歌舞伎会」などの勉強会では、入門当初には考えられなかったような随分と大きなお役を色々とさせて頂きました。 私はおかげ様でプラス思考なんですよ(笑)。「上方歌舞伎会」で「輝虎配膳」のお勝をさせて頂くことになった時は、本当はびっくりしまして…、それまで、お琴に触ったことすらなかったですから…。特訓のおかげで、間違えず弾き語りは出来ましたが、お琴を弾くだけで精一杯という感じでしたので、役の気持ちをもっと前に出したかったという反省が残りました。 この世界に身を置いていたい、それだけで何も考えず、吸い込まれるように入った私ですが、あっという間に20年余りが経ち、昨年の6月、歌舞伎座で名題披露をさせて頂きました。披露はその年の南座での顔見世、今年の正月の松竹座と続いた訳ですが、特に京都出身の私にとりまして、20世紀の最後の月の「まねき」に自分の名が上がったというのは、本当に嬉しく、感無量でした。 名題披露をしてからすぐ、昨年の9月、日生劇場で「夢の仲蔵」というお芝居で、吾妻藤蔵という女形が、楽屋での姿を見せるという役をさせて頂いたのですが、演出をされた高麗屋の旦那(松本幸四郎丈)が、お稽古の最初に「皆さんと一緒に楽しいお舞台にしたいので、アイデアがありましたらドンドン私に言ってきて下さい。」とおっしゃいました。「上方出身の役者という設定にして、楽屋の中の場面は、女形の扮装をしたまま男の声でしかも関西の話し方でしゃべっていいですか?」とお尋ねしましたら、とても喜んで下さり、早速取り入れて下さいました。そして、劇中劇の、元の台本にはなかった女形の科白を話す場面まで作って頂きましたので、楽屋との対比が更に際立つことになり、なかなか刺激があって楽しい舞台でした。 時々お話を頂いては「女形ができるまで」という催しを、色々な所でさせて頂いています。余りご存じない方に、少しでも歌舞伎というものを身近に感じて頂きたいという思いで工夫をこらしてしています。カナダでも何ヶ所かで公演をさせていただき、また英語で40分ほどの講演もさせて頂きました。最高裁のポスターの「とめ女」は、あちらこちらに貼ってあったらしくて、「見ましたよ」と随分声をかけて頂きました。恥かしがり屋の子供だったんです。人って随分変わるものですねえ(笑)。「墨染会」も同窓生以外に本当に沢山の方が入会下さり、大きくなりました。 これからの夢ですが、先般、上村吉弥さんが「みよし会」をされましたでしょ。大変刺激を受けました。私もまず本公演で必要とされる脇役として力を蓄えるよう修業に励み、自主公演や一人芝居をやってみたいと思っています。海外でも英語を交えた一人芝居をやってみたいですね。 一つのことを達成すれば次々と課題が出てくるのがこの世界で、芸の世界には、学校にいた頃の様な卒業はありません。名題披露をして改めて思うのですが、今、役者として出発点に立ったなというのが実感です ------------------------------------------------------------ ノートパソコンに向かいながら待っていて下さったその姿が、とっても決まってインテリジェンスに溢れてました。さすが京都大学!そういうと冷たい感じがしちゃいますが、歌舞伎への思いや生き方は超ホット。歌舞伎界のホットなインテリゲンチャは心遣いも優しい方です。 (平成13年5月5日 京都グランピアホテルにて 聞き手: 源甲斐) |
「伝統芸能のすすめ」(京都新聞・夕刊 2001年12月3日)
写真(左上)は上方歌舞伎会での「八重」です。
<以下は片岡嶋之亟丈のインタビュー記事です。> 役者にとって女形の魅力の一つは、変身することの楽しさと言えるでしょう。通っていた御室小学校の近く で、よく時代劇のロケがありました。映画スターがいろんな役をやっているのを見て育ったようなものなので、変身する世界はごく身近にありました。 女形は実際の女を演じるのではなく、男性から見て理想の女性像を演じること。普段から女性の心情とか、振る舞いとかを自然に観察。歩いている時や電車に乗っている時に、いつの間にかアベックの姿をじっと見たりして。そうしている自分にどきっとすることもあります。歌舞伎の型を型としてきっちり覚えることはもちろん大事なことですが、それだけではなく自分なりの引き出しを作って、役を膨らましていくというのも、役者としての楽しみです。今夏、大阪の「上方歌舞伎会」で演じた『賀の祝』の八重では、死を覚悟した夫、桜丸を前にして、涙がこみ上げ、嗚咽が止まらなくなり、今まで以上に役が自分に乗り移って来ているのを感じました。 私にとって歌舞伎の魅力を一言でいえば、「艶」という言葉に尽きると思います。深みのある華やかな色彩、魂を揺さぶる心地よい音色、心をわくわくさせる色気。歌舞伎四百年の歴史を通じて洗い上げられ、極められた艶のある様式美が歌舞伎の最大の魅力なのでしょうね。その世界に生きていることは大変光栄です。大歌舞伎の中で存在感のある脇役になれるよう頑張りたいと思っています。 |
「歌舞伎の魅力にふれる」(郵政互助会機関誌『Ygゆうイング』2003年10月号)
表紙全面に「野崎村」のお染の写真。1ページ目が片岡嶋之亟丈紹介のページ、2ページ目は歌舞伎の歴史、3−4ページ目は歌舞伎のお勧め演目紹介、5ページ目が地芝居の紹介。いずれも文章執筆は片岡嶋之亟丈。 |
東京都観光局・海外向けパンフレット イメージキャラクター
東京都観光局が作成した海外向け観光案内パンフレットのイメージキャラクター。左はスペイン語版の1ページ目「夕霧」、中央はスペイン語版の9ページ目「おわさ」、右はイタリア語版の1ページ目「夕霧」。 |