第3回
「歌舞伎大道具のこと」

ゲスト:長谷川勘兵衛さん
第3回の歌舞伎ナビゲーションは、歌舞伎大道具界の重鎮、長谷川勘兵衛さんにお話をうかがうこととなりました。これにはご長男の長谷川紳之介さんにたいへんお世話になりました。ありがとうございました。

十七代 長谷川勘兵衛・プロフィール
1924年、東京下谷において、父・十六代長谷川勘兵衛、母・長谷川乃婦の次男として生まれる。本名・長谷川信次郎。日本大学経済学部在学中より、父に師事し、歌舞伎大道具の仕事に携わる。1965年に十七代長谷川勘兵衛を襲名後、歌舞伎を始めとする日本の伝統芸能の発展に広く貢献する。現在、長谷川大道具株式会社改め、歌舞伎座舞台株式会社の取締役、日本総合舞台美術株式会社(国立劇場)大阪支社長および日本舞台テレビ美術家協会会員。

「昭和の御代に「勘兵衛」が二人出来ましたので、私は「勘兵衞」の字を使っております。」

趣味は洋の東西を問わず演劇・映画・音楽などの鑑賞。スポーツは数多く楽しんできたが、現在はゴルフを楽しみとしている。これにより良い師と多くの友を得る。

大谷竹次郎賞(1965年)、長谷川伸賞(1970年)、伊藤喜朔賞(1973年)、紫綬褒章(1992年)、勲四等旭日小綬章(1997年)および真山青果賞(1998年)を受賞。著書「大道具長谷川勘兵衛」

写真は「籠釣瓶花街酔醒」の舞台で長谷川勘兵衛氏とともに




長谷川勘兵衛さん「私は先代(第十六代)勘兵衛のもとで大道具の見習から仕込まれましたので、それを思い出しながら質問にお答えします。」

1:大道具さんのお仕事(公演前・中・後)ってどんなことですか?

 大道具の職種からお話したほうが良いかと思います。大きく二つに分かれて、「製作要員」と「舞台転換要員」(舞台上では彼らを大道具と呼ぶことが多いようです)が居ります。前者には、実際に道具を作る大工仕事を受け持つ「生地師(きぢし)」、家の壁や柱や屋根・塀・石垣などを描く「塗方(ぬりかた)」、背景・襖絵などを描く「絵描(えかき)」が居ります。後者には、キャンバスやパネルなどに絵を描くための紙や、金紙・銀紙などを張る「経師家(きょうじや)」、舞台に敷く地面・水・雪などを表す布や、暖簾・上敷(畳を表す)などを扱う「小裂(こぎれ)」、セリ・切穴などを扱う「奈落番(ならくばん)」、電動・手動の吊物を扱う「操作盤」、定式幕・祝幕・引膳幕を扱う「幕引き」、皆さんもご存知の「付打(つけうち)」が居ります。これらの職種のものが、「裏飾り」と上手・下手の「表飾り(おもてかざり)」に別れて、道具を飾り転換していきます。

○公演前
「どのような芝居でも、役者さんの芸(芝居)を中心に、お客さんに楽しんでいただけるように」と教えられました。それゆえ、舞台装置家の道具帳と脚本を踏まえたうえで、役者さんの意向を伺い、大道具を作ります。
 仮名手本忠臣蔵・義経千本桜などのお芝居、また道成寺・保名などの舞踊などでは、道具も大体決まっているものも多いのですが、役者さんの家でそれぞれ解釈が違い、それによって演出も大道具・小道具・衣裳も変わるものもあります。
 例えば、平成14年11月公演の本朝廿四孝奥庭の場は、これまで殆ど成駒屋さんの型で上演されてきましたが、今回は久々に芝雀さんが京屋さんの型で上演されます。そこで双方の違いを見てみますと、成駒屋さんの方は、上手の諏訪明神のお社を斜めに飾り、それに続く石橋も平面図で見ると平行四辺形の形でこれも飾りが斜めです。これに対して京屋さんのほうは、お社は正面を向き、石橋も下手に向かいお社から真横に飾りちょっとした仕掛もあります。また、宙乗りをしたり、瑠璃灯を下ろしたりします。



 実際はその月の公演の最中なのですが、まず生地師が、「地絵図(じえず)」・「書き抜き」といっている平面図・立面図によって道具を作り、「経師家」・「塗方」・「絵描」の手を経て、大道具が完成します。
 この後、「仕込み」・「道具調べ」・「舞台稽古」という段階を経て公演に入ります。

○公演中
「製作要員」は、次の公演の道具の製作作業を行い、「舞台転換要員」は舞台の飾り、転換、仕掛ものなどの操作、その合間に、道具製作のうち「転換要員」の受け持ちの道具の製作などをします。

○公演後
 終わった公演の道具を処分、物によっては倉庫などに移動して、また「仕込み」・「舞台稽古」を経て次の公演になります。

2:背景などは、どのくらい使ったら作り直すのですか?

 歌舞伎の背景は、同じ狂言が続いて公演されること(ロングラン)が稀なことと、キャンバスやパネル大きく(4.5mx3.6m・4.5mx14.0m)、収納のスペースがないので毎回、新しく描きます。

3:1度作ったものは公演で使うまでどこに保存するのですか?

 1度使用した道具のうち、特別な材料で製作したものとか、製作に手間のかかる道具で劇場から搬出可能なものは倉庫に、特に使用頻度の高いものは劇場内の「スノコ」・「奈落」に保管します。

4:新作の場合、準備にどのくらいの期間がかかるのですか?例えば平成14年3月の「道玄の月」など)

 新作狂言の公演が決定すると、劇作家がまず脚本を作り、劇作家・演出家・舞台装置家などが、その脚本をもとに役者さんを含めて諸々の交渉を重ねて、舞台装置図(道具帳)・および衣装・小道具などの資料(付帳等)をそろえることに数ヶ月、その上で大道具を製作するには場面数にもよりますが約1ヶ月かかります。
「道玄の月」の時には、前年の夏に3月公演が決定しました。「舞台装置家」の中嶋正留氏は、紅葉の永平寺・厳冬の永平寺を取材し、種々の教えを受けて帰り、見事な舞台装置を作りました。
 付け加えますと、平成14年の「源氏物語」の時は瀬戸内寂聴先生が脚本を書かれ、守屋多々志先生が美術の考証をなさり、約1年の準備期間を要しました。

5:公演中は何人くらいの道具方さんいらっしゃるのですか?


 30数人の「転換要員」が居り、公演中は、交代で公休をとり、常時24人ほどが働いています。

6:回り舞台はどうやって動かしているのですか。人力で動かしているものは有りますか?

 現在歌舞伎座では、円形のレールの上に鉄骨で円柱状に櫓をくみ上げ、この上に回り舞台が設置して有ります。これを電力で(モーター)廻しています。
 昭和20年以前は、廻り舞台も人力で廻していました。現在でも各地方に現存する古い劇場(例えば岐阜県加子母村にある明治座、四国の琴平座)には、人力の回り舞台があります。
 そのほかの人力の舞台機構として歌舞伎座では、舞台中央客席側の通称「梅ゼリ」が有ります。これはウィンチのハンドル状のものを人力で廻して「セリ」を機動するため、細かくグングンと(またはユラユラと)揺れるように動き、この動きを古い役者さんやお客さんが好まれたので、今も残っているという説が有力です。
 この他にも、演目により使用される仮設のものとしては、「岡ゼリ」・「岡ズッポン」などが有ります。

7:大道具と小道具の境目(分け方)は大きさですか?

 厳密な分け方はありません。先輩たちのうちに判りやすく「不動産は大道具、動産は小道具」と説明した人が居ります。また「役者さんが芝居で手に触れて扱うものが小道具、触らないものが大道具」と言われる事もあります。
 名前の通り大道具は、家屋や岩組・船・背景などを作っています。しかし、先月(平成14年9月)の公演の場合、夜の部の「立花屋見世先の場」の軒提灯(のきちょうちん)は、大道具ですが、昼の部の「怪異談牡丹燈籠」の牡丹燈籠をはじめ、「萩原宅の場」や「伴蔵住居の場」の軒に下げている岐阜提灯は小道具と、あいまいな部分も多くあります。長年の慣習でお互いに分け方を心得ておりますが、確認をし合うことが必要なときもあります。
 小道具は「初代の藤波與兵衛さんが市村座に出入りする傍ら、諸々の道具の賃貸、合わせて収集を始められて、明治の御代になって小道具商として独立された」と聞いています。4代目の与平衛さんとは絶えず一緒に仕事をしておりましたので、早世されたのが残念です。

8:短い幕間や暗転で舞台の様子がガラリと変わりますが、手順などを練習することはあるのですか?

 初日の前に道具調・居所調べ・舞台稽古と、何回も稽古をします。特別な仕掛の道具などがあるときは、テクニカル・リハーサルをするときもあります。

9:装置が大きかったりして、大変な演目は何ですか?あれば教えてください

 大道具が重要な役割を持つ狂言は数多くありますが、いつでも役者さんが引き立つように心がけております。また役者さん・大道具を含めて関係者の安全を考慮しています。2、3例を挙げますと;

1、仮名手本忠臣蔵の城明け渡しの赤門



 本郷東大の赤門と上野博物館の黒門を、手本としております。どの道具でも、現存する物をモデルにした場合、その取捨選択に苦労するものです。殊に、建造物は全てを真似て作ると、往々にして舞台に入りきらない物が出来てしまいます。
 出番所(でばんしょ)の付いた丹塗り(にぬり)、赤く塗った門はあまり現存しておりませんが、幸いにも、東京には本郷の東大の赤門にそれが残されています。なお、このような丹塗の門は「御守殿門」と言い、将軍家の息女が嫁入した先の家にのみ許されていた物で、婦女の出入のために用いられていました。いわば裏門にあたる門だと教えられました。
 照明技術の未熟な時代の薄暗い明かりの中では、丹塗の門は効果的だったと思います。

2、青砥稿花紅彩畫の極楽寺山門から滑川土橋





 先人が鎌倉五山の山門のうち最も舞台栄えのするところを考えたときに、建長寺の山門を選んだのでしょう。今でも桜の季節になりますと、参道一面に桜の梢の聳え立つ山門は値千金の眺めでしょう。
 芝居の演出上、見栄えのするように、欅造りのものを丹塗の極彩色の山門としたのは、芝居のための「嘘の見本」でしょう。
 先代勘兵衛が、近代建築が盛んになってきたおりに、新しい技術・材料の研究中、師匠の十四代勘兵衛に「大道具は大工だよ。全て木で創りなさい」と言われたそうです。このため、この道具の「強盗返し」と「屋台中のセリ」に関しては、私も昭和50年頃まで全ての仕掛物を木製にしてきました。

3、東海道四谷怪談の砂村穏亡堀蛇山庵室






 深川から砂村にかけて、俗二十万坪言われたところの芝居です。なにぶん怪談物の仕掛の多い舞台ですから、芝居の流れの中で、どの位置に仕掛の道具を置き、且つ客席のどの位置からでも、仕掛を使った芝居が見えなければなりません。
 その上で、芝居は見えても「仕掛の種」は出来るだけ客席から見えない位置に置くように配慮します。また、道具の裏で黒衣を着た後見が、身軽に動き回れるスペースも必要です。

  
       「東海道四谷怪談」の「仏壇返し」(左)とその舞台裏の仕掛け(右)

  
       同じく「壁抜け」の舞台裏の仕掛け(左)、「提灯抜け」(右)

 このような訳で、この道具に関しては、脚本の「ト書き」よりも「仕掛物の位置」と「芝居の手順」のほうが優先されています。

 その他、天王建ての御殿、また「源氏物語」の四の宮参内で歌舞伎座の回り舞台一面に飾り付けた、寝殿造りの御所の廊下などです。

10:劇場ごとに常駐の大道具さんが居るのですか?

 劇場ごとに専属の大道具が居り、それぞれの特色を持って道具を作り活動しています。

 巡業や地方公演には、道具と一緒に大道具もついて行きます。この様なときが、若い大道具にとり芝居について、また大道具の仕事の中でも自分の専門外の仕事を学ぶ、良い機会にもなっています。




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