片岡嶋之亟、私の生い立ち 第6回



 <間人の映画館>

 間人での楽しみの一つは映画でした。チャンバラ映画の数々や「スーパー・ジャイアンツ」というシリーズ(「スーパーマン」のコピーような感じの作品で、確か主演が宇津井健だったと思います)をよく見ました。映画館は町に三館ほどありましたが、そのうちの一館が如月旅館の向かい側の何軒か先にありました。そこでは映画の他に実演が入ることもあり、早替わりの大江美智子一座を見たこともあるような気がするのですが、記憶は定かではありません。その映画館は客席が畳で、前方の席と後方の席の間、そして両脇に、席を区切る手すりが付いていたのを覚えています。当時、私の住んでいた京都市内では椅子席の映画館しか記憶になかったので、すべて桟敷席という間人の小屋で見る映画は不思議な感じがしました。そこでは実演もしていましたので、考えれば九州の嘉穂劇場や琴平の金丸座の小さいものだったわけですね。映画が活動写真と呼ばれていた時期に、活動写真を演劇に取り入れるという試みがされていたことがあり「連鎖劇」と呼ばれていたようです。明治の終わりから大正初期のことだそうですが、この映画館でもひょっとしたらやっていたのかもしれません。
 そういえば私が女形としてデビューしたのは中座の市川猿之助一座の「奥州安達ヶ原」の通し上演の時で三段目の腰元に出ていましたが、その時の公演では袖萩が娘のお君を連れて親元へ訪ねて行く場面が映像になっていてちょっとびっくりしましたが、ルーツは「連鎖劇」にあったのかもしれません。
 間人の町は海に面した小高い丘の斜面に出来た小さい港町でしたが、江戸時代には北廻船が寄港するという交通の要所でもあったわけで、一時は相当の人が集まったと想像されます。その名残が置屋や芝居小屋だったのでしょう。如月旅館やその小屋のある場所は小泊という地名になっていました。タイム・トラベルして往時の賑わいを目の当たりにしてみたい衝動に駆られます。



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