片岡嶋之亟、私の生い立ち 第7回



 <龍安寺の思い出>

 小学校の頃、家で勉強をした記憶はほとんどなく、ひたすらよく遊んだ子供でした。小学校の3年生まで京都市右京区の竜安寺衣笠下町というところに住んでいましたが、現在は世界遺産に指定されている大雲山龍安寺のすぐ近くでした。龍安寺は枯山水の石庭で世界的に有名ですが、観光寺院として整備された現在の趣とは随分異なり、当時は自然なままの状態が回りに多く残っていましたので、子供たちにとっては格好の遊び場所でした。
 鴛鴦(おしどり)が群れ遊んでいたので、おしどり池と呼ばれていた鏡容池(きょうようち)では近所の人たちと水面に浮く菱の実を集めましたし、弁天島の石垣で烏貝(からすがい)を採ったこともありました。烏貝は砂を出させて、その日の夕食のおかずとなりました。また菱の実の美味しかったことを覚えています。素っ裸になって池で泳いだ腕白坊主も近所にいました。ブリキで出来た玩具のボートをおしどり池に浮かべていたら沈んでしまい、随分日が経った後で、水を抜いての大掃除の時に出てきたことも思い出しました。今ではこの池で子供たちがそうやって遊ぶ姿を想像することすら出来ません。いまから思えばのどかな時代でした。文化財の保護や管理責任ということが今のように細かく云われていない時期だから出来たことなのでしょうね。
 今は「きぬかけの道」というバス道が参道を二分して横切っていますが、繋がっていた頃の参道は、カーブといい、傾斜といい三輪車で下るのにちょうど頃合で、幼児期の私たちの三輪車レース場になっていました。今見るとたいした長さの斜面でもないのですが、幼児期にはとても長いコースに思えて迫力のあるレースを楽しんでいました。三輪車を押して一番上の門のあるところまで行き、合図とともに皆で一斉に駆け下りる。気持ちのいい遊びでした。繰り返し繰り返し三輪車を押して上がったのを思い出します。
 私の通っていた御室小学校の一年上の児童がこの寺に住んでいました。おとなしい少年で、あまり話したことは無かったのですが、なんとなく親しみを覚えて、石庭の見える方丈にもよく遊びに行っていました。行くとご住職が落雁などのお菓子を下さいましたが、とても美味しかったのを覚えています。先だって現在のご住職にお会いすることができ、落雁を作ったことや、池での遊びのことなど懐かしい昔話にお付き合いいただきましたが、この小学校の一年上の先輩は堺の方のお寺のご住職をなさっていて先年他界されたということでした。もう少し早くにお尋ねしてお話を伺えばよかったと後悔しました。合掌。
 現在のご住職、田代玄英師は当時大学生で、京都大学で宗教哲学を専攻されていたそうです。大雲山龍安寺の中興の五百年の記念事業の準備を前にお忙しくされている中、昔の写真をみせていただいたりいろいろとお話を聞かせていただいたおかげで私の記憶のぼんやりした部分も蘇ってまいりました。本当に感謝しています。それにしても、見せていただいたアルバムの中に私が京都教育大学付属高校生だった時の担任の先生の写真があったのには驚きました。お話を伺ってみると、ご住職の嵯峨野高校時代の恩師。不思議なご縁もあるものだと感じ入りました。



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