片岡嶋之亟、私の生い立ち 第14回



 <駄菓子屋など>

 お菓子やメンコなどを買ったのは駄菓子屋でした。近所の細い路地を少し行ったところの古い市場の一角に駄菓子屋があり、塩せんべい、サイコロキャラメルといった駄菓子やメンコ、煙硝の弾をいれて鳴らすピストル、投げ玉(火薬の入ったカンシャク玉)、パチンコ(二股にゴムをつけて玉を飛ばすもの)、竹飛行機、キビガラと云った子供のお小遣いで買える安い玩具が所狭しと並べてありました。「当てもん」と云って、賞品のついた籤も楽しみでした。日光写真や写し絵も駄菓子屋の人気商品でした。日光写真は絵が印刷された透明な紙(フィルムに当たるもの)を印画紙に重ね、ガラスのついたボール紙のケースに入れて、日の当たるところに置いて置くと写真が焼けるもの。写し絵は絵柄の入った透明な紙をしばらく水に浸した後、腕とかにくっ付けておくと絵が肌に付き刺青のようになるもの。どちらも絵柄はチャンバラ映画、劇画の主人公でした。
 ポン菓子屋さんが時々来ることがありました。近付いてくるとキーという独特の音や、ポンとお米の弾ける音がするので、その音がすると、「ポンが来た!」と子供たちは色めき立ちました。家にあるお米を持っていくと、砂糖と一緒にブリキの長い筒に入れ、ハンドルで回しながら下から火で炙っていました。その間、キーという音がしていました。暫くすると、ポン!と破裂したような大きな音がして、お米が何倍にも膨らんだ「ポン」の出来上がりでした。お米で出来た雷おこしを四角く固める前のようなもので、ビニールの袋に入れてもらったポンは何日分かのオヤツになりました。素朴で美味しいものでした。地方によってはパッカンという呼び方もしていたようです。 戦後の物のあまり豊富でない時代で、お菓子の種類も少なく、今の子供たちには考えられない生活でした。よく近所を通りかかる足の悪い小父さんが子供好きで、いつも煎った銀杏を袋に入れて持ってきてくれたことも懐かしく思い出します。
 家の前で近所が一緒にする「ドンド」も楽しみでした。秋の終わりには、掘りごたつや火鉢に入れる灰を作るために藁を燃やすのですが、中にサツマイモを入れるのが子供たちには喜びでした。灰と同時に焼き芋が出来るのです。「九里(栗)四里(より)美味い十三里」と云いながら、熱いのでふうふう吹きながら食べた焼いもの、ほくほくした甘さを思い出します。
 当時はいろいろと変わったものが近所に来ました。ロバの曳く「ロバのパン」も人気が有りましたし、キャラメルの「カバヤ」の、河馬の形をした自動車が来ると子供たちは大喜びでした。「ロバのパン」は割りと最近に同じ音楽が聞こえてきたことがあり、表に出てみたら車で売りに来ていました。懐かしさに覗いてみると蒸しパンがあり、買ってみたら昔ながらの味で子供時代を思い出しながら味わって食べました。お店の宣伝のビラを撒くチンドン屋もときどき来ましたが、時代劇の格好をした一行の三味線、鉦、太鼓などの楽器の音が聞こえてくると、子供たちは「ワー、チンドン屋が来たァ!」と走りより、付いて歩いたものでした。軽飛行機からのビラまきも時々有って、空から降ってくるビラを子供たちは興奮して追っかけていました。ただこの飛行機からのビラまきは費用の割りに効果が薄いのか、すぐになくなりましたが・・・。



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