<如月旅館のこと>
海が近くにあるという楽しみだけではなく、祖父母の営む如月旅館のたたずまいは情緒があって子どもの私にとっても居心地のよいものでした。道に面して、格子の入った部屋を見ながら玄関を入ると、上がり口に墨絵の老松の衝立、そして左には丸窓が目に付きました。旅館をする前は置屋を営んでいたそうです。もちろん田舎のことですから、それほど格式のあったものではないでしょうが。その丸窓のある部屋の長火鉢に旅館の女将、すなわち祖母が座って「米ちゃん、八番さんお銚子三本。」などと、仲居さんたちに差配をしていたのを思い出します。時折、お座敷が入り、二階で三味線や太鼓の入った賑やかな歌声が聞こえてきました。一階の奥の部屋で本を読んでいるときなど、何で大人はあんなに大声で騒ぐのだろうという迷惑な思いが先にたって、唄の数々は覚えていないのですが、何度も演奏されたご当地ソング『丹後の宮津でぴんと出したよ。』は耳に残っています。そういうお座敷の時は裾を引いたお姐さんたちが何人かいたのを覚えています。帳場や旅館のあちこちの壁に菊正宗、白鹿、黄桜などのお酒のポスターが貼ってありましたが、いずれも着物姿の美人で、デザインも垢抜けしていました。今のアイドル・ポスターのような感覚だったのでしょうか。大人にとっては、こういう人にお酌をしてもらってお酒を飲んだら美味しいだろうな、日本酒を飲みたいなというポスターだったのかもしれませんが、子どもだった私は、いろっぽいお姐さんたちの艶姿に、ただあこがれのような思いを抱きました。歌舞伎の世界で女形をつとめる私の原型がここにあるのかもしれません。このお姐さんたちの面影、そして料理旅館特有の、お酒や料理のダシの匂いが程よく沁みついた木の香りを懐かしく思い出します。
この間人(たいざ)の地は、丹後ちりめんの産地の一角にあたり、好景気の時には副業にしている家も多く、朝八時から日の暮れるまで、町中に機折りの音がしていました。お酒のポスターのお姐さんの着物もおそらく丹後ちりめんだったのでしょう。今では繊維業界全体が深刻な不況に陥ってしまい、室町の老舗でも廃業されたところがいくつかあるような厳しい現実。間人でも機(はた)の音は全く聞かれなくなってしまいました。時の移ろいを感じてしまいます。
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