片岡嶋之亟、私の生い立ち 第10回



 <竜安寺近辺の野山での遊び>

 龍安寺の近くの野原や山では蝶々やトンボ、カブトムシ、ブンブン(カナブン)、そして夜の川べりでは蛍をとったことも懐かしい思い出です。当時は水や空気が今よりも格段に綺麗だったので、蛍は割りと身近に見ることが出来たのです。笹を水に濡らして飛んでいるところで動かしていると、蛍が止まりました。スギナと一緒に虫籠に入れて水をかけてやると、光の強弱が激しくなったのを思い出します。猫の喉を撫でてやると気持ちが良いので、ごろごろと音を立てますが、それと同じように蛍も喜んでいるように感じました。蚊帳の中に蛍を放して眺めるのがお気に入りでしたが、蛍の寿命はとても短いので、朝になるといつも悲しい思いをしていました。蛍には源氏蛍と平家蛍があって、大きい方が源氏でした。子供の頃に親しんだ、数々の物語の中で源平の盛衰が描かれていましたが、源氏蛍の大きさに、平氏を滅ぼした源氏の強さを重ねて見ていました。
 また川では、メダカやアメンボ、タガメ、ミズスマシ、トンボの幼虫のヤゴ、ドジョウ、そしてドンコと呼んでいた魚を網で掬って捕りました。エビガニ(アメリカザリガニ)は小さく切ったスルメに糸を付けて釣っていましたし、タニシなどの貝も捕りました。大き目の缶詰の空き缶の上ブタを取りさって、釘と石を使って穴を開け針金をつけて手製のバケツを作るというのが当時の子供たちの定番でした。物のない時代といってしまえばそれまでですが、自分たちの使いやすい物を自分で作るというのも大事な遊びの一つでした。その手製のバケツに捕った魚や貝を入れて持って帰り、家で飼っていました。
 周辺の林の中では陣地を拵えるといって木々に荒縄を張ったりもしていました。今のようにいろいろな玩具がお店にずらりと並んでいる時代ではありませんでしたので、手作りの道具を作ることも、充実した遊びの一つでした。真っ直ぐな木の枝を削って作った剣。柄(つか)の所を残して皮を剥いていました。竹を割って作った弓。野原で枯れた、真っ直ぐな草の茎を切って作った矢。太い竹を節のところで切って紐を付ければ矢筒が出来ました。チャンバラゴッコの準備は万端整ったというところです。この自作の道具を持って野山を駆け回っていました。野いちごやイタドリを見つけるとオヤツにし、椿などの花の蜜を吸っていましたが、激しく動き回った後の自然のオヤツは本当に美味しいものでした。その中でもアケビはなかなか見つからない貴重品でした。笛も作りました。からすのえんどう(野生の小さいえんどう豆)は種を取り除いて、端を少しちぎって吹くとピーと高い音が出ました。お茶の実の黒い種の端を石に擦って削り、小さな穴を開けて中の白い粉を取り除くと、これも高い音がしました。それから新緑の頃、若い葉を二つに折って拭いてもビーと低い音が出ました。その他いくらでも遊ぶ材料が野や山にあり、楽しみに満ちていました。
 そうして自然の中で動植物に親しみながら育ったということは、森羅万象に感応するといえば大げさに聞こえるかもしれませんが、自然の中に魅力を見出すという私の美意識を形成したのは間違いのないところです。成人した私が三岸好太郎の「韃靼海峡を渡るてふてふ」や速水御舟の「炎舞」などの幻想的な美の世界を好んだり、琳派の花鳥風月に心をときめかしたりするのは、この時期に感覚の芽を作り上げたのだろうと思います。



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