<頭巾ごっこ>
映画を見るたびに、チャンバラごっこではその時々で主役が替わっていきましたが、若手花形スターが扮していた前髪の若侍と並んで人気があったのは、痛快無敵の正義の味方でした。その中でも怪傑黒頭巾、白頭巾、紫頭巾、鞍馬天狗など頭巾を被った役は子供の間で絶大な人気がありました。大勢の悪人を倒してあっという間に事件を解決する比類なき強さだけでなく、頭巾を被っているという謎めいた雰囲気も、子供たちのワクワクした気持ちをかき立てていたのです。遊ぶときにはめいめいが白頭巾、黒頭巾、そして紫頭巾になりきっていました。チャンバラゴッコでの必需品は刀に見立てた木の枝や竹の棒、それもないときにはハタキを腰のベルトに差していましたが、白頭巾ごっこの時には刀に加えて、白っぽい風呂敷が大切な小道具でした。風呂敷を対角線で二つ折りにして、三角形の二等辺の片方から頭を入れて、もう片方のところを目の幅だけ開けて後ろで結ぶという簡単なものでした。それだけでは忍者のようになってしまうので、割り箸を使って、白頭巾、黒頭巾特有のミミズクのような出っ張りを作ることもありました。それだけで心はすっかり怪傑黒頭巾、白頭巾になりきっていたのです。簡単になりきれるので、当時私たちの周りでは大流行でした。子供たちは親に頼んで古い風呂敷を貰っていました。結婚式の引き出物を包んであった紫の風呂敷が紫頭巾ごっこで活躍したことはいうまでもありません。子供たちの心の中では、頭巾を被るとたちまちタイムスリップ、時代劇の主人公に変身出来ていたのでしょうね。
頭巾の形や被り方にもいろいろありました。目だけが見えるもの、鼻の先の部分にかかるもの、口元が見え、あごのところで結んであるものなどです。私は鼻の先にかかる大友柳太朗さんの怪傑黒頭巾のかぶり方が一番好きでした。頭巾を被った人物が登場すると、それだけで急にドラマが何やら謎めいた雰囲気になりましたし、お姫さんが人に会いに行くとき、人目を避けて被る紫の御高祖頭巾(おこそずきん)には色っぽい魅力を感じました。お殿様やご家老など大家のお侍がお忍びで外出するときの山岡頭巾もなんとなく記憶にありましたが、歌舞伎に入門してから「ひらかな盛衰記」の「神崎揚屋の場」(通称「梅が枝の手水鉢」)を見たとき、その幕開きで遊郭にお忍びで来た身分のあるお侍が被っていたので、映画のことを思い出しました。
話が少し脇へそれますが、歌舞伎の時代物狂言の代表作の一つ、「ひらかな盛衰記」の中の「神崎揚屋の場」(通称「梅が枝の手水鉢」)の「梅が枝」はいつか演じたい役の一つです。前の場、「源太勘当の場」の「千鳥」は演じたことがありますが、この場で千鳥は遊女「梅が枝」となって、出陣しようとする恋人、源太の鎧を買い戻すため苦労をしています。鐘を撞くと身は地獄に落ちるが富を得られるという無間の鐘に見立てて、手水鉢を柄杓で打つと上から小判が降ってきますが、それはすべてを理解していた母、延寿が投げ与えたものでした。山岡頭巾を被った大家のお侍に見えたのは、実はやむなく源太を勘当した母の延寿だったのです。(本当のお侍なら山岡頭巾でよいのですが、実際はお侍の格好をした延寿なので、頭巾の下はお侍の髷ではなく女形の鬘です。そのため山岡頭巾の形を少し変えていて、千鳥頭巾と呼ぶのだと、歌舞伎の衣装さんに教えていただきました。)
話がチャンバラ映画のことから少し横へ逸れましたね。
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